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浦和地方裁判所 平成5年(わ)328号 判決

主文

被告人Aを懲役五年に、被告人Bを懲役四年に各処する。

被告人らに対し、未決勾留日数中一五〇日を、それぞれその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人Aは、昭和三五年に高校を卒業してから、東京都内の非鉄金属関係の会社数社で主に営業担当として一〇年間程働いた後、株式会社東信物産を設立経営したが、やがて資金繰りに窮して倒産するところとなり、その後、平成元年九月、エクステリアや建築金物関係の請負を業務内容とする株式会社プランを設立した。ところが、同社は、平成四年、ビルの建築工事において仕事上のミスから再工事を余儀なくされたり、マンション工事でも見積額を下げられたり、支払いが遅れたりしたことなどから資金繰りに困るようになり、しばらくは町金融からの借入れ等で凌いできたがこれも限界となり、同五年二月には負債が約六五〇〇万円となって、倒産寸前の状態になった。加えて、被告人A自身も三〇〇〇万円以上の負債をかかえていたことから、自宅の処分も覚悟せざるを得ない状況となったが、可愛がっていた子供に引っ越しは嫌だと泣かれたりしたこともあって、なんとか家だけは残したいと思い悩み、夜も眠れないようになった結果、会社と家族ためには悪いことをしてでも大金を手に入れたいと考えるようになった。

被告人Bは、昭和五九年に高校を卒業後、建設会社で現場監督をするなどして働いた後、平成四年八月に前記プランに入社して被告人Aの下で仕事をしてきたものであるが、昭和六一年に結婚した前妻と次第に不仲となり、平成三年の秋ころから別居状態となっていた。同年一二月、被告人Bは現在の内妻であるCと同居するようになったことから、前妻との関係を清算しようと考え、同四年春ころ家庭裁判所に離婚調停の申立をして、右株式会社プランに入社した後の同五年二月に同被告人が前妻に慰謝料及び子供の養育費として五〇〇万円を支払って調停離婚が成立した。被告人Bは、この五〇〇万円を支払うために、予め信用金庫から事業資金の名目で七九〇万円の借り入れをしたが、その他にもローンで車を購入するなどしていたので、合計で一〇〇〇万円を越える借金を背負うこととなり、その月々の支払いに追われる状態となった。

平成五年三月初めころ、いよいよ資金繰りに窮した被告人Aが、そのころ聞いた現金強奪事件のニュースを被告人Bに話したことをきっかけとして、いつしか両名の間で、危ない橋を渡ってでも大金を手に入れようという話になり、その翌日、被告人Aは、どこかのワンマン社長を誘拐して、みのしろ金を奪うという計画を被告人Bに話し、同被告人もこれに同意し、その後、被告人両名は、被告人Aが買い求めた「会社情報」誌を調べたり、図書館で会社年鑑、紳士録等を見て誘拐する会社社長の目星を付けたりした。しかし、社長が運転手付きの車で通勤していたり、社長宅が分からなかったり、分かっても付近の道路が狭く誘拐のための待ち伏せに不都合であるなどの理由でいずれもその誘拐を諦めたが、そのころ、被告人Aは、犯行の用具として千枚通し、ガムテープ、手袋、マスク等を、被告人Bは、同じく多機能ナイフ、サングラス、手袋、マスク等をそれぞれ準備したりした。そして、同月二三日に至って、被告人両名は、相手が運転手付きでないほうが誘拐しやすいと考えて大学を狙うこととし、見知っていた国立埼玉大学に赴いて、同大学の図書館にあった本で同大学学長の氏名、住所、電話番号をメモし、被告人Aにおいて学長の出勤状況等を確認するために同大学に電話したところ、その人物は前学長であり、現在の学長は堀川清司であることが判明したので、さらに被告人Bにおいて前学長宅に電話をして右堀川学長の電話番号を聞き出し、同学長宅に車のセールスマンを装って電話をして、同人が電車通勤であって朝の八時過ぎに自宅を出ることを聞き出し、ここにおいて被告人両名の間に、堀川学長をその出勤途中で誘拐し、同人の安否を憂慮する埼玉大学の幹部から、その憂慮に乗じてみのしろ金を交付させてこれを奪おうという相談がまとまった。

(罪となるべき事実)

第一  被告人両名は、共謀のうえ、

一  学長誘拐の際に使用する被告人Aの自動車に装着して犯行を隠蔽する目的で、平成五年三月二三日午後七時ころ、埼玉県川越市〈住所略〉所在の有限会社K駐車場内で、被告人Bにおいて、同社の工場長N管理にかかる普通乗用自動車からナンバープレート二枚を取り外して窃取し

二  同月二四日、被告人Bが約束していた待ち合わせの時間に遅れ、三鷹市についたときには既に堀川学長の出勤時間が過ぎていたため、この日は学長誘拐を諦め、学長宅付近を下見して待ち伏せる場所を決めたり、犯行に使用する被告人A所有の普通乗用自動車の車検・定期点検のステッカーの部分にガムテープを貼ってその標示を隠したり、前記窃取にかかるナンバープレートを右自動車に取り付けるなどして準備を整えたうえ、翌日の誘拐決行をお互いに確認した。翌二五日午前六時ころ、被告人両名は、川越市内のファミリーレストランで落ち合って学長宅に向かい、同日午前八時二五分ころ、東京都三鷹市〈住所略〉先路上において、被告人Aが、出勤のため自宅を出た埼玉大学学長堀川清司(当時六五歳、以下「堀川学長」という)に対し、「前学長の竹内さんからことづけを頼まれたので、ちょっと車の中で話したい」、「とにかく車の中で話すので乗ってください、駅まで送ります」などと詐言を弄して、堀川学長を被告人Aの運転する前記自動車の後部座席に乗車させて走行させ、間もなく、同所付近を走行中の同車内において、不審に思って「降ろしてくれ」と頼んだ堀川学長に対し、被告人Aが「うるさい、黙ってついてくればいいんだ」と脅しつけ、堀川学長の左側に乗り込んでいた被告人Bも、堀川学長の左脇腹に所持していた刃体の長さ約10.2センチメートルの多機能ナイフ(〈押収番号略〉)を突きつけ、「うるさい、黙れ」などと言って脅迫して同人をその支配下に置き、もって、同人の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてみのしろ金を交付させる目的で同人を誘拐したうえ、被告人Aにおいて、「取引しようじゃないか、あんたの体を八千万円で買ってんだ」、「大学には収入役のような金を管理する人がいるだろう、その人に電話して金を工面するように言え」、「取引に応じなければ川にぶん投げるぞ」と堀川学長に申し向け、同日午前一一時五分ころから同日午後二時三〇分ころまでの間、前後五回にわたり、埼玉県富士見市大字上南畑二七二番地二ほか三か所にある公衆電話から、堀川学長をして同県浦和市大字下大久保二五五番地所在の埼玉大学に電話をさせ、同人の安否を憂慮する同大学事務局長伊藤博之(当時四九歳)に対し、「個人的なことだが金の必要が生じたので大学で工面できないか」、「五十嵐という人物が私の名刺を持って大学に行くので、渡してもらえれば有り難いのだが、金額的には数千万円あるいは一億円工面できないか」、「なんとか金の工面は出来ませんか、してもらわないと大変困った立場になります」、「もう切迫しています、これが最後になります、私の負担能力からして二〇〇〇万円どうにかならないだろうか」、「現金を分からないように包んで、大学の正門前の守衛所に渡しておいて下さい、五十嵐という人が学長の名刺を持って守衛のところに行くので、学長に頼まれた者だと言ったら、その人に渡して下さい」などと申し向けさせ、もって、堀川学長の安否を気遣う右伊藤の憂慮に乗じて財物の交付を要求し

三  同日午前八時二五分ころ、東京都三鷹市〈住所略〉先路上において、前記のとおり、堀川学長を前記自動車の後部座席に詐言を弄して乗せた後、同車内で同人に対し前記多機能ナイフを突きつける等の脅迫を加えたうえドアをロックするなどして、同人を脱出不能にした状態で同車を埼玉県浦和市方面に向けて走行させ、同人を同市〈住所略〉先路上まで監視を続けて連行し、同日午後四時四分ころまでの間、同人を同車内から脱出不能にし、もって同人を不法に監禁し

第二  被告人Bは、業務その他正当な理由による場合でないのに、同日午前八時二五分ころ、東京都三鷹市〈住所略〉先路上に駐車中の前記自動車内において、前記多機能ナイフ一丁を携帯し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(量刑の理由)

本件は、大学学長を狙った誘拐事犯を中心とするものであるが、被告人等は、予め堀川学長の出勤時間等を調べたうえ、犯行隠蔽のためナンバープレートを盗んでこれを犯行用の自動車に装着したり、脅迫用のナイフを準備するなどしており、本件犯行を一定の計画性を持って遂行したことはこれを否定できない。また、結果的には無事に救出されたとはいえ、ナイフを突きつけられたうえ、「死んでもらうしかないな」、「川の中にぶち込むぞ」などと執拗に脅かされ、被告人等の要求に従わないときには本当に殺されてしまう、被告人等の顔を見ているのでみのしろ金を支払っても殺されるかもしれないと生きた心地もしなかった旨述べている被害者である堀川学長の受けた恐怖や苦痛を思うとき、被告人等の刑事責任は真に重いものがあると言わざるを得ない。そして、学長のみならず、同人の安否を心から憂慮していた事務局長の心労を思うとき、同人等の被害感情が強いのも止むを得ないところであり、これに慰謝の措置が何ら取られていないことを併せ考慮すると、同人等が被告人等の厳重な処罰を望んでいるのも十分に理解できるところである。加えて、その動機という点でも、判示のとおり、被告人Aにおいては自らの事業の資金繰りに窮したとはいえ(同被告人がかつて会社を倒産させたことがあるという事実等からすれば、その事業経営の姿勢により一層の慎重さが求められていたといっても酷ではなかろう)、再起のための真摯な努力を怠り、倒産回避のための資金を労せずして手に入れようという真に安易な考え方から本件を企てたものであり、被告人Bにおいても、自ら作り出した借金(離婚の慰謝料支払いのための借入金が主であるが、それ以外の高額な自家用車購入等のローンもあり、同被告人の金銭感覚のルーズさも窺われる)の負担を早く逃れたいという短絡的な動機の下になされたものであって、いずれも同情の余地はさほど大きいものではない。しかしながら、本件を子細に検討すると、つぎのような被告人等に有利な諸点が認められる。すなわち、被告人等の本件犯行の中核をなすみのしろ金目的拐取罪の法定刑は他の拐取罪のそれに比し格段に重いのであるが、それはこの種事犯が誘拐された者の自由を拘束するにとどまらず、しばしば生命を損なう危険を伴い、そのため近親者及び社会に対して与える不安と恐怖が絶大であることにもよるのである。しかし、判示のとおり、本件では、被告人等が被害者を拘束していた時間が八時間弱と他の事案と比べて比較的短時間であったうえ、被告人等は、みのしろ金を取得した後は、被害者をそのまま解放するつもりであったと一貫して供述しており、当公判廷においても、被告人Bは、同Aとの間で人を傷つけないことを話し合っていた、同Aも、被害者に対して一切暴力は振るっていない、今となってはこれだけが救いである、とそれぞれ供述しているのである。このように、被告人等が被害者に危害を加える意図がなかったということは、現実に被害者に対して特段の暴力が加えられていないこと及び被告人等のこれまでの生活ぶりからして信用に値するものと考える。そうすると、被告人等の被害者に対する右のような態度は、量刑上これを十分に考慮する必要があると考えられる。さらに、本件では、肝心のみのしろ金取得には至っていないのであり、これはみのしろ金目的拐取罪がみのしろ金取得という財産犯的側面も有することに照らすと、被告人等にとって有利に斟酌すべき事情である。さらに、前記のとおり、本件犯行は一定の計画性を持って遂行されたとはいうものの、その詳細を検討するとき、被告人等の計画というものは、およそ成功の可能性に乏しい極めて杜撰かつ幼稚なものであったと言わざるを得ない。すなわち、前判示のとおり、被告人等は、犯行を思い立ってから実行に移すまでの約一ヵ月の間に、狙う相手を次々に変更し、当初はワンマン社長を狙ったものの、誘拐しにくい運転手付きの車で通勤している場合が多いということからこれを諦めたり、その間、都内のビルの建築現場の施工主が女性であるとみれば安易に同女を狙おうとしたり、最後は、大学の学長であれば運転手付きの車で通勤しているという話は聞かないから誘拐しやすいであろうと考えて狙いを絞ったものの、被害者である学長の氏名と電話番号を把握したくらいで、特に誘拐計画の細部をつめることもしないままに直ちに翌日を決行日と定め、しかも当日は被告人Bが寝過ごしたことから、さらにその決行を翌日に延期するというような有様であったのである。学長誘拐後においても、顔を隠すためのマスクやサングラスを使用することを忘れ、被告人Aは、どのようなルートで移動するか、大学に電話させるために学長にどのように話を切り出すか、みのしろ金をいくら要求するかなど、最も重要な事柄をその場その場で初めて考え出しているのである(これは被告人B及び被害者の各供述調書からも真実であると思われる)。果ては、誰が考えても逮捕に至るであろう渋滞する国道に面した大学前にまで赴き、そこでみのしろ金を入手しようとさえしているのである。そうすると、被告人等の本件犯行は、当初からみのしろ金取得に至る可能性に乏しく、逮捕されて当然というべき稚拙なものであったと言わざるを得ず、これに誘拐した相手が国立大学の学長という一般的には大金を有しているとは考えられない立場の者であったということをも併せ考えると、この種の事件で厳罰の一根拠として強調される伝播性・模倣性あるいは一般予防ということは、本件ではことさらに重視する必要はないと言うべきである。

また、検察官は、被告人等の悪性格を強調するが、それは被告人Aについて言えば、会社経営の態度が杜撰であったということと、資金繰りに窮した結果安易に犯行に走ったというにすぎず、被告人Bについても、仕事振りが必ずしも芳しくなかった、金銭感覚に多少厳しさを欠いた、被告人Aの誘いに直ちに乗ったという程度のことであり、むしろ関係者の供述から浮かび上がってくる被告人等の人間像については、ことさらに非難すべき点は見当たらないものと言ってよいであろう。

加えて、被告人両名とも、動機という点で前記のように同情の余地に乏しいとはいえ、自らの遊興のための金銭に窮して犯行に至ったものではないこと、前科・前歴がないこと、本件犯行を十分に反省していること、被告人等の社会復帰を待っている家族がおり、妻達がその更生に協力する旨を誓っていること、被告人Bにおいては、これに加えて若年であること、被告人Aに誘われて本件犯行に加担したものであることなどの事情が認められ、これら被告人等に有利な諸点を総合考慮し、かつ、同種事案に対する量刑傾向をも勘案して、主文のとおり判断する。(求刑・被告人A 懲役八年、被告人B 懲役七年)

(裁判長裁判官須藤繁 裁判官梅津和宏 裁判官大島淳司)

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